健康と創薬を考える NEW-ING

新着情報

WHAT’S NEW

Dec

9

2020

61

大変お世話になっております。寒さが続いたせいか、倒れた・逝ったのニュースが多くなり望まぬ多忙に追われ、気分的に一段落しましたので、思い出す事を追いながら、治験感想文を長々と、まとまりのつかぬもの書いてみましたがご笑読ください。

明日は鎌倉ガイド、明後日は東海道沼津~由比蒲原宿探索に行きます。
夏頃は時間的に治験参加可能と仲間が期待しております故、判明しましたらご一報願います。
昨日久しぶりに銀行に寄ったら、お金が入金されている事を告げられました。有難うございました。健康爺探しに頑張ります。
先ずは取り急ぎお礼まで。
『健診治験との出会いに感謝』
 63才時の1993年学友から老後の健康管理に治験参加が最適と勧められ以来15年間、担当医、栄養士のご指導を参考に生活を変え、更に治験での健康維持に努力の多くの知己との出会いは我が老後に明るい息吹となっている。学齢時に両親から、お前は半死状態で生まれ戸籍汚しになっては・・・との産婆の勧めで届けず、毎日片道8キロの雪道をおんぶして町医者通い、2才時の帰り道、牛小屋で大きな牛乳ビンを受けとる父の背中で大喜びでバタバタ足を動かし大目玉を食った事が今でも覚えており、黒砂糖を入れた牛乳が大好きな母乳拒否の赤ん坊だったと聞かされ育った。そして医者の判断で出生届けとなった故、実際の生まれは昭和4年末とか。これが4才頃には丈夫になり近所のガキ大将、そして昭和12年小学校入学から17年間学校生活となり、新制?校達は皆勤賞の証拠はあるものの、戦後食糧難で焼芋1個やコッペパン1個に水道水だけの東京の学生生活の栄養不良で学業断念。帰郷した仲間続出の中でも耐えて無欠席を通した事だけは我が人生の唯一の誇り。
 事ある毎に母親から「此の子だけは苦労と心配の続きだったが、本当に痛み上りの子だ」の話を聞いた事が懐かしい思い出のひとつ。病歴として27才の米国商社勤務時、風邪からハシカになり死ぬ思いの11日間の初入院、そして体重78キロだった46歳の時、突然の下腹部激痛、救急車搬出の腎臓結石で5日間の入院経験のみで、77年の人生で南米、アフリカ大陸での砂漠生活にも耐え、山登りの捻挫治療以外は医者薬不要で通しており、82才で逝った親の年に近づいて改めて丈夫に育ててくれた親や関係者に感謝の思いを募らせる昨今である。小学校時代から逆立ち歩きや近所の製材所の鋸屑山での空中転回遊びが得意だった事もあり、此の年になって骨密度検査の先生をしても50才代の軟らかさ・・・・とおだてられているのも乳児期の黒砂糖牛乳のお蔭と感謝である。70才を越してからは、治験参加の爺達との健康維持談議を参考に、飲食と運動には注意し、自己流の多種類の野菜、果物、海草を刻んだ、ぶっ込み一夜漬を酢で食べ、小魚、ヨーグルト、バナナ一本は欠かさず、腹六分三食厳守、散策山歩き時以外は菓子、コーヒー、茶などの間食は一切とらず、水2リットルを飲み、毎朝1~2回のバナナ状の排便時の下腹部快感度でその日の体調判断と決め、トイレを図書室?としての読書が最も楽しい日課。つまみ食い間食で口を動かし、薬頼り病院通いの、家族からは大不評のガンコ爺であるが、事務局からの年1~2度の治験臨床健診案内で再会出来る、明るい健康優良爺達との大声での語らいと専門医からの新しい健康法の教示は、よりよく生きたい明日へのエネルギーとなっており、治験参加が唯一の健康管理の道標と決め、健康は自分で作り守り続ける気構えを学ばせて戴いていることに感謝感謝である。
 小学校6年の12月27日、毎晩蒲団の中で、幕藩体制の昔、郷土の開発に生涯を捧げたかくれキリシタンの先生の話をし、苔むした記念碑に連れて行ってくれた大好きな祖父が、雪の中での仕事を終え、中食に戻り、食べながら熱燗一杯飲んで、「オイシイナー」と「お前大きくなったら頑張れヨ」の二言を残し、一人留守番中の目の前で75才のポックリ死の体験以来、暮れが近づくとあの場面が目に浮かび若い時から身辺整理の必要性を感じてきた。親から授かった体にメスも入れず、健康で生かされている恩返しに此の体が医学研究開発に役立てていただけたらとの思いで、治験で世話になった先生に相談、献体申込を済ませ、目下家族、身内承諾の手続き中。これで老後の第一関門通過の爽快気分に一人浸っている次第。治験参加資格も残すこと1,000日に迫ったが、残された時間を健康維持に努力し、祖父が手本を示してくれた如く健康での旅立ちを求めて、快活な治験参加爺達との再会には、献体に話題を移して、盛りあがる治験場を楽しみに待機している櫻花爛漫の季である・・・。

Index
Top